ひょん先生は背中で語りたい

精神科医。いじめられ体質から成長中。月曜日更新予定。

トラウマがある人を傷つけてしまう3つのメッセージ

こんにちは。

 

今日はブログをお休みしようかなと思ったけど、日課になってきていて、ブログを書くことでやるべきことをやれた、という気持ちになれるし、誰かのお役に立てるかもしれないと思って、ブログを書くことにしました。書こうとしていたSTAIR/NSTについてはエネルギーをかなり使いそうなので、今日は経験も踏まえた記事にします。

ブログを書くなら何を書こうと考えていた時に、今まで言われて傷ついた言葉を思い出して、このことを記事にしようと思いました。

 

トラウマを抱えていて、周りの人の言葉に傷ついてきた人達は、傷ついちゃうのは自分だけじゃないんだということを知ってほしいし、トラウマ(ここでのトラウマは幼少期の傷つき体験も含めます)がある人が回りにいる人や、今回りにいなくてもいつか接することがあるかもしれないので、NGワードとして知っておいてもらえると嬉しいです。

 

 

あなたも(もしくは、あなたが)悪かった

 

例えば性被害者の場合に、もう少し落ち着いた服にしていたらよかったんじゃない?、とか、そんな遅い時間に出歩いたのが良くないんじゃない?と言ったことは、直接的に言わなくても、あなたも悪かったよね、というメッセージになります。

トラウマがある場合に、その出来事の恐怖だけでなく、恥といった感情も持ち、自分も悪かった、落ち度があったと感じていることが多いです。理不尽な理由で虐待を受ける子供も、自分が悪いから殴られるんだ、と思っています。落ち度がなくても、自分が悪いと思ってしまうのです。

言っている側としては、対策ができることであったということを伝えることで安心させたい(もしくは自分自身も対策をすれば危険は起きないということを信じて安心したい)、これから予防できるようにアドバイスをした、という気持ちかもしれませんが、さらにトラウマ経験者を追い詰めてしまいます。トラウマ体験者は世の中や他人や自分自身に対する安心感が損なわれています。その中で誰かにその体験を話し共有する、というのはとても勇気がいることだったのに、あなたが悪いと言われてしまうと、もうどうしようもなくなるし、誰かに助けを求めることも難しくなってしまうのです。

トラウマを受けた側も落ち度があった、と個人的に思ったとしても、あなたも悪い、落ち度があった、というメッセージは控えましょう。また、あなたも悪かったというメッセージよりもあなたが悪かったというメッセージの方がより決定的に心の傷をえぐります。まずは心の傷のかさぶたを作らないといけません。トラウマ体験によって傷ついた思いに共感、傾聴することを大切にしましょう。

 

嘘だと決めつける

 

トラウマ治療のうちにNET(ナラティブ・エクスポージャー・セラピー)というものがあります。トラウマ体験を人生の物語として語ることでトラウマ記憶を整理し、トラウマ体験に対する強烈な感情を軽減する、という治療法ですが、トラウマ体験を第三者に証言することが有用性に結びついている、とされています。体験したことを本当のことであり、かつそれも重大な出来事であったと受け止めてもらうことは大切な体験なのです。

先ほども伝えたように、トラウマ体験を第三者に伝えるというのは、思っている以上に勇気のある行動なのです。話すこと自体で思い出してしまう、余計に傷つくことをいわれるかもしれない、と思いながら打ち明けたのに、重大な傷が生じた出来事を嘘と言われてしまえばさらに自分自身を含めた誰も信用できなくなります。トラウマ体験者は、だれもわかってくれない、という孤独感を持っており、トラウマ体験を否定することで、さらに孤立してしまいます。

 

補足:主観的事実と客観的事実(特に幼少期のトラウマ体験について)

 

私は一度、幼少期の面前DVや教育虐待について後輩に話したことがあって、その時は話を聞いてくれていたけど、なにかで気に入らないことがあったのか、後から「虚言癖」と言われました。今でもなんでそんなことを言われたのか、相手を怒らせるようなこともなかったように記憶していますが、酷く動揺し、怖くなって連絡をとらなくなりました。また、両親とのトラウマ体験について直接両親に話してみても、「あんたの記憶違い」と言われてしまいます。

出来事には主観的事実(本人が感じた事実)と客観的事実(第三者から見て明らかな事実)があります。幼少期の傷つき体験について「やさしく注意をした」「かわいらしいと思い、冗談として言った」という客観的事実があったとしても、主観的事実として、「怒鳴られた」「馬鹿にされた」と本人が感じる可能性があり、嘘をついているわけではなく、それぞれが記憶している事実に不一致が起きることがあります。特に、愛着障害の子供を持っている親自身も愛着障害を抱えており、否定されることや過去の過ちを認めることに対する抵抗が強い場合が多く、親が記憶をゆがめていることもあるし、私は悪くない、と主張しやすい傾向にあります。

愛着の傷がある場合に、ある程度回復したときに、傷つけてきた相手に思いをぶつけようとすることがありますが、その時に、受け止めてもらえるか、受け止めてもらえないか、というのは治療的に大きな意味があるのです。事実がどうであったか、過去であればあるほど検証が難しいので、そうしたつらい思いをしていたこと、傷つき体験を幾重にも重ねてきたことを認め、ひたすら謝ることが、子供も回復を促すために必要と思います。ただ、幼少期の親の行動のトラウマ体験について、受け止めることができる親が少ないのも事実で、思いをぶつけたとしても受け止めてもらえないかもしれない、ということはあらかじめ覚悟した方が良いでしょう。

 

みんなできることができない、ダメな人

 

この記事を書こうとおもったきっかけとなった、傷ついた言葉は「社会人としての自覚を持ってほしい」という言葉でした。以前の職場でも体調不良のため勤務できないことがあったことも伝えており、休む時は体調不良について伝え、無断欠勤もしたことなく、むしろ体調が改善してきて、休む日も少なくなった時に言われました。

「社会人の自覚を持ってほしい」「社会人として毎日出勤してほしい」と今まで体調の相談をしていた副院長に言われました。今では怒りの方が大きいのですが、言われた時はかなり傷つきました。

トラウマ体験がある場合、私も(私が)悪かった、という罪悪感や劣等感を感じていることが多く、それを突き付けてしまうとさらに深い傷を与えてしまいます。また、看護師などの支援者でも、過去の出来事のせいにしないで本人が頑張らないといけない、私たちだって大なり小なり傷はあるのだから、という考えを持っている支援者(院内、院外問わず)もいます。何に困難を感じているか、ということに耳を傾ける必要があるでしょう。確かに、暴力行為など、誰かのせいにはできないし、自分で責任をとる必要があるのですが、トラウマ体験により本人が得ることができなかった体験、スキルというものがあり、その部分に対するサポートは必要でしょう。

みんなができるのに、あなたはできない、というメッセージは、劣等感や孤立感をより深め、立ち直りを邪魔してしまいます。

 

まとめ

 

今日はトラウマがある人を傷つけてしまうメッセージについて書きました。

トラウマ体験がある人は、みんなそういうものだよ、というのをわかってほしいし、支援する立場の人はこのポイントを特に気を付けてもらえたらと思います。

 

結局たくさん書きました。

また岡田先生の本なんですけど、愛着障害、幼少期のトラウマ体験の理解や支援についてとてもわかりやすくかかれていておすすめです。

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