精神科医が解説!もののけ姫から学ぶ、怒りのコントロール術
こんにちは。愛着障害、いじめられ体質克服中の精神科医ひょんです。
もののけ姫をこの間見ていて、「これって怒りのコントロールをテーマにした物語なのでは?」とふと思いました。
タタリ神ってもう、憎しみそのものです。
アシタカは呪いとして憎しみを引き継いでしまいますが、最終的に怒りや憎しみをコントロールすることに成功しています。
今日はもののけ姫から、怒りのコントロール術を考察、解説します。
愛着障害やPTSDでは強い憎悪を抱くことがしばしばありますが、回復、克服の過程で怒りと上手に付き合っていく必要があります。
より良い人間関係を築くためにも怒りのコントロール術は必須スキルです。
1.怒りは生きるために必要な感情
怒りは「悪い」感情であると認識される傾向がありますが、生きていくために怒りは必要です。
生きるために必要な怒りは2種類あります。
- 危険から身を守るための怒り
- 信念や正義のための怒り(義憤)
安全が脅かされた時は自分の身を守る必要があります。
怒って反抗しなければ、尊厳を踏みにじられたり、命さえも奪われる可能性があります。
敵に狙われた時のアシタカも、呪いが発動しても手の動きはコントロールできています。
エボシに対抗しようとするモロや乙事主(タタリ神化前)もおどろおどろしい姿ではなく、真向な人物像として描かれています。
怒りは強いエネルギーを引き起こします。
瀕死の山の神をタタリ神として猛威を振るわせるほどのエネルギーです。
乙事主がタタリ神化したときに、あまりに高エネルギーなため、サンはとても苦しがっています。
怒りはコントロールできないほどの強力なエネルギーをもたらすのですが、信念や正義のための怒りはコントロール可能なエネルギーとして利用できるのです。
サンとエボシが一騎打ちをして、アシタカが止めに入るシーンがありますよね。
あの時に呪いが発動していますが、アシタカはその力をコントロールして、自分の正義に基づいた行動がとれています。
対照的に、そのシーンの少し前に、アシタカがエボシに切りかかろうとする自分の腕を必死に抑えている場面があります。
「エボシのせいでこんなひどいことがおきている!こいつを殺したい!」という私的な怒りの描写では、コントロールに難航し、怒りを抑えるのにかなり苦労しています。
「いじめっ子を許さない!懲らしめてやる!」という怒りは本人も周りもひどく消耗しますが、「いじめらた経験から、いじめられっ子を救うために戦いたい」という信念や正義に基づくエネルギーに変換できれば、生きがいも生まれそうですよね。
(実際に意識して変えるのは難しいです。この辺の解説は最後にします。)
このように、危険から身を守る怒りと信念や正義のための怒りは、自分の身を守り、ポジティブな生きるエネルギーとなります。
2.怒りを正しく捉えられなくなるとタタリ神になる
もののけ姫から怒りを紐解くときにはタタリ神についても触れなければいけません。
タタリ神化を回避したアシタカとモロ、タタリ神化したナゴの守と乙事主の違いはなんでしょうか。
いずれの人物もエボシに対して個人的な恨みを背負っています。
ただし、それは自分の身に危険が及ぼされているため、正当な怒りでした。
タタリ神化の分岐点は、自分自身の怒りの本質をとらえられているかどうかです。
タタリ神化したナゴの守も乙事主も、エボシに対する恨みを強く抱いています。
しかし、怒りの対象はそれだけではないと考えられます。
「イノシシの誇りだからね。最後の一頭になっても突進して踏み破る。」と、乙事主の戦闘の前にモロは言っています。
しかし、ナゴの守も乙事主も、瀕死の状態で一頭だけ森のなかをさまよっているのです。
つまり、どこかで仲間が全滅した状態で一頭だけ生き延びてさまよっている状態なのです。
このように「仲間を見捨てた自分への怒り」もあると思われますが、タタリ神化直前でも、そんなことは一言も口にせず、エボシを倒すことのみに言及しています。
自分自身に対する怒りに耐えきれず、自分の気持ちに蓋をしてしまったのです。
その結果、怒りが肥大してタタリ神化していると考えられます。
自分の気持ちに強力な蓋をした結果、サンの冷静な助言も聞き入れることができなくなり、事態はさらに悪化します。
ナゴの守と乙事主の最後の場面の違いも興味深いです。
ナゴの守は恨み言を残して不気味な姿となり死んでしまいます。
しかし、乙事主は何も言葉を発さずに、静かに目を閉じます。
この差はその場にシシ神がいたのか、いなかったのかの違いだと思います。
シシ神は生と死、いわば秩序を司る存在です。
乙事主を見つめることで、事実をありのままに見せていたのではないかと思います。
シシ神を見たときに乙事主は怯えているように見えるし、本当に怯えていたのかもしれません。
しかし、目を見開き、やすらに目を閉じるシーンと続くことを考えると、乙事主はエボシに対する肥大化した怒りから解放され、仲間を見捨てた自分を責める気持ちに気が付き、さらに、それは乙事主が悪かったわけではなく、乙事主も精一杯頑張ったしどうしようもなかったことに気がついたのではないかと思います。
気づきが得られた乙事主とは対照的に、ナゴの守は恨みと関係ない人間たちを襲い、「急にやってきた理不尽な怖い存在」として最後を遂げています。
日常生活においても、過去の嫌な出来事に結びつけてしまっていたり、怒りで別の感情を隠してしまっているため偽物の怒りの感情が生じて、それに振り回されやすくなります。
すっきりしない怒りには、別の感情や思い込みが隠れているかもしれません。
3.思い込みや執着を手放せば怒りのコントロールは神レベルに
キャラクター別に怒りのコントロールレベルを分けることができます。
怒りのコントロールレベルの違いは、周りの出来事の捉え方にあります。
おもしろいことに、怒りのコントロールレベルが低いと野生動物的だし、レベルが高くなると人間味あふれる達人レベルになり、さらにレベルをあげると神レベルになります。
狂人レベルは、被害的な世界観に固執しています。
タタリ神化する直前の乙事主は、「黄泉の国から戦士たちが帰ってきた」と、妄想的な発言もしています。
先頭前の理性的な乙事主であればこのような考え方はしなかったはずですが、狂人レベルになると被害的な世界観に捉われ、理解力が下がり、妄想的な世界に入り込んでしまうのです。
愛着障害やPTSDのフラッシュバックはこの状態に入りやすいです。
怒り狂っている本人もつらいのですが、そのつらさは理解されにくいです。
周囲からみると、「よくわからない迷惑な人」でしかなくなります。
凡人レベルは、妄想までいかないけど、思い込みが強いです。
いい人、悪い人の判断で人を見ています。
サンの場合は悪い人にはぶつかっていくけど、現実的な世界では過剰に避けようとする行動もあるでしょう。
達人レベルは、妄想や思い込みがほとんどなく、人と穏やかにつながることができます。
信念や正義による健康的なエネルギーも持っています。
自分の感情や考えに捉われずに、「くもりない眼で物事を見定め」、エネルギッシュさも兼ね備えています。
無用なすれ違いも起きず、自分の嫌なことも伝えることができ、適切な人間関係を築くことができます。
また、そのような人は周りに安心感を与えるため、自然と人も集まってきます。
神レベルになると、達人レベルでもっている理想像というものも手放しています。
シシ神は、例外的に命と首を奪われた時に激怒していますが、それ以外ではほとんど感情を表にすることがありません。
神レベルといいつつも、シシ神は体を持っていたので、命を奪われることに反応するのは自然なことでしょう。
何にも動じることなく、悟りを開いている状態です。
狂人レベルから、達人レベルまで、妄想や思い込みを捨てることで他者とのつながりを強くしていたのですが、神レベルでは一人での世界で完結しています。
自分一人でも安定した世界を維持することができるため、まさに孤高という言葉がぴったりです。
こころに余裕があり、傷をおったアシタカを治してあげたり、タタリ神化した乙事主の苦しみを取り除いてくれていますが、特別な存在はいません。
思い込みや執着を手放し、ありのままを見て感じることができれば、怒りのコントロールレベルをあげることができます。
達人レベル、神レベルのいずれかが多くの人の理想的な姿でしょう。
正義に燃える人間臭い感じの達人レベルがいいのか、超越的な存在の神レベルがいいのか、人の理想はそれぞれありそうですね。
私は人間らしい達人レベルでいたいなと思います。
神レベルは仏教の悟りの状態で、目指すにしても難易度はとても高いです。
まずは達人レベルを目指し、その達人レベルのうちの数%か、それ以下の確立で神レベルになれるかどうか、というところでしょう。
ちなみにエボシやジゴ坊は、強い感情をもたずに目標達成だけを目指すことができるサイコパスタイプと思われます。
強い感情を持つ人がこのタイプに変わりたいと思っても、感情の揺れを小さくすることは困難なので、怒りをうまく飼いならすことを考えたほうがよいでしょう。
怒りを見て見ぬふりをすると、かえって怒りが増大し、乙事主のようにタタリ神化していしまいます。
強い感情を飼いならすためには、自分の中も外もありのままに見るステップを踏んで、達人レベルや神レベルに達して、サイコパスタイプに近い状態を目指すことが現実的です。
まとめ
今日はもののけ姫から学ぶ、怒りのコントロール術について解説しました。
怒りは悪いものではなく、生きるために必要なものです。
怒りの本質を見間違い、ないものにしたり過小評価したりすると、怒りは暴走してしまいやすくなります。
タタリ神化する前の乙事主は達人レベルにいたと思われますが、それでも、怒りに蓋をすることでタタリ神化し、狂人レベルにまで怒りのコントロールレベルが下がっています。
内側の世界も外側の世界もありのままを見ることで、より高度な怒りのコントロールができるようになります。
処方箋
まずは、自分に起きていることを見定める必要があります。
マインドフルネスが有効でしょう。
ありのままを受け止めるトレーニングになります。
個人的な怒りから義憤へ変えることで生きるエネルギーに変えられることをお話しましたが、意識して変えることはかなり困難です。
まずは、怒りを自分の中だけでも過去の記憶として終わらせる必要があります。
PTSDまで至っているなら専門治療が効果的です。
一人で完結した手法としては、過去のトラウマ記憶を書き綴る、録音するといった方法も一定の効果がありますが、フラッシュバックが起きたときの対応が難しいといった問題もあり、第三者がいたほうが記憶の整理も進みやすいので、主治医がいるなら相談してみると良いでしょう。
特に愛着障害、PTSDの患者さんでは、怒っているときに自分自身へも怒りが向かっていることがよくあります。
自分に八つ当たりしてしまっているため、怒りが長引きやすくなります。
自分に対する自信のなさ、自分の価値の不確かさから無意識に自分自身に八つ当たりしてしまっていることが多く、本人も気が付きにくい傾向にあります。
自分の価値を自分で信じられるように、セルフコンパッション(セルフコンパッションについて - ひょん先生は背中で語りたい)など自分を受け止めるスキルを強化したり、自分の好きを満たしてあげること(好きは大切という話 - ひょん先生は背中で語りたい)で、自分自身を価値ある存在だと信じさせてあげることが有用でしょう。
おすすめの一冊
怒りのコントロール術について、アンガーマネジメントも参考になります。
いくつかスキルを試してみて、自分にあうものを常備しておくと、日々のイライラとの付き合いも上手になっていきます。